きれいな空気を求めてーノマド地球横断中💋

きれいな空気を探して、地球上を彷徨中。真の健やかさとは?真の豊かさとは?について、感じることを、徒然なるままに綴っています。

形骸化した、不要な習慣・振る舞いは、どんどん断捨離せん

 

 

 

こんばんは。エリアルです。

 

 

 

突然ですが、日本のカメラマンの、一番の掻き入れどきは、七五三シーズンであり、いくら総動員しても、足りないくらい需要があるそうです。

 

 

 

子どもの七五三や、誕生日祝いの撮影で、有名な某写真館も、なんと、アルバイトのカメラマンを雇って回しているそうです。

 

 

 

私は、7歳の時から、写真が大好きで、風景、建築、アート、ファッション関係の写真を趣味で撮っていましたし、フィルムカメラや写真の勉強もし、アメリカで、写真コンテストでファイナリストに入選したり、コミュニティ誌の、コントリビュータフォトグラファーをしたこともあります。

 

 

 

ところが、昔から、ポートレートや人物集合写真には、全く食指が動かなかったのです。生来、人嫌いだからか😅、人が群がるところに、煙/においあり😷だったからか、エネルギー的に疲れる😞からか、、、とにかく、関心が湧かないのです。

 

 

 

風景の一要素として、人が小さく写っている分には、構図の隠し味としていいのですが、ポートレートって、昔も今も苦手…というか、正直、何がいいんだか、よくわからないのです。

 

 

 

それでも、写真で食べていけたら、いや副業でもいいから出来ればいいな、、と思い、七五三撮影のノウハウを教えてくれるオンライン講座に参加してみました。

 

 

 

確かに需要があり、期間中は、カメラマンは、身がいくつあっても足りないくらい、引っ張りだこのようです。

 

 

 

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ところが、いざ具体的な撮影作業や、実務の話になると、サーっと引く自分がいました。

 

 

 

「いかにお客様の問題を解決できるか」

 

・メイクやヘアメイク、着付けなどの予約、段取りが憂鬱なお母さまの、頭痛の種を払拭するには、どうしたらいいのか

 

・高価なレンタル着物を子どもが汚さないか、気が気でないお母さんの心配事をどう解消すればいいのか

 

・着物など、動きづらい格好など、したくなく、走り回って遊びたい子どもたちをいかにエンゲージし、いい表情を引き出すか

 

・動きに制約のあるおじいちゃん、おばあちゃんのために、どんな小物を用意すればよいのか…

 

 

 

など、単純に撮影すること以上に、コミュニケーション・気遣いを求められるようです。考えてみれば、どんなサービス業にも共通する点だと思います。

 

 

 

ただ、私なら、問題解決策を考える以前に、いやなら、面倒なら、ただやらなければいいだけの話じゃないか、国民行事だから、と惰性や義務感で子どもの撮影をしていないか…と、思ってしまいます。

 

 

 

わざわざ、混み合う、着物もカメラマンも品薄で、割高な時期に、右へ倣えで、「伝統だから」という理由で、嫌がる子供を無理矢理連れて、ストレスを感じながらも、着付けさせ、撮影をする必要があるのでしょうか…

 

 

 

コマーシャルで喧伝されているからって、特に必要もないけれど、みんな使っているし、どんな成分が入っているか不明で、健康への影響などにも思いも寄せず、香りが長続きする柔軟剤に、なんとなく手を出すのと、何ら変わりなく感じる私は、異端なのでしょうか…

 

 

 

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個人的には、七五三などの行事、特に親族が一堂に会する、「家族制度」「男女役割分業」など、ドメスティックな性質がクローズアップされるような、行事は、超苦手です。

 

 

 

さすがに3歳児の頃は、異議を唱えたくても、言葉足らずで、主張できず、七五三に駆り出されましたが、それ以降は、拒否権を行使し、不参加でした。

 

 

 

成人式も、単なる形式であり、商機を煽るための行事くらいにしか思えず、全く関心がなしで、ブッチして、海外旅行しました。

 

 

 

七五三は、医療が発達していなかった頃は、7歳までの子どもの死亡率が、高かったことから、「子供に元気に育って欲しい」と願いから始まった行事のようです。

 

 

 

が、今や、そのような心配もなくなり、本来の目的も薄れ、ただ親族が集まり、おめかしして、写真撮って、普段はお参りに行かない神社へお参りして、食事をする…という、形骸化された大衆行事に変化しているような気がするのは、私だけでしょうか。

 

 

 

子どもの真なる成長を願うのであれば、その子の個性を尊重し、その子が望むことをしてあげればいいのではないでしょうか。

 

 

 

もちろん、お子さん本人がしたければ、すればいいし、嫌がるのであれば、「伝統」だから、という理由で、十把一からげ、右へ倣えで、皆と同じことをさせるよりも、オリジナルなお祝いをしてあげた方が、よほど、その子にとっても、親にとっても、特別で、テーラーメイドな記念になるのではないでしょうか。

 

 

 

…なんて、子どもの頃から、思ってしまっているものですから、いくら被写体である子どもは好きでも、「お客さま」である、親御さんの意図やエネルギーに違和感を覚えていては、カメラマンは難しいなあ、、と、思った次第です。

 

 

 

フォトグラファーとして、自分が納得いく、撮りたいと思う被写体だけ撮っていては、趣味止まりになってしまい、稼ぐことは難しい、とも。

 

 

 

でも、だからといって、極力避けたい「家族制度」の香りのみならず、物理的な各種ケミカル臭も色濃く漂う状況で、撮影しようとしても、エネルギー的に引いてしまうでしょう。

 

 

 

カメラで撮影する行為は、大好きでも、稼げる案件の被写体には、気乗りがしない、ハートが共鳴しない。一方、心底撮りたい被写体の写真は、売れない…

 

 

 

引き受けたい内容の案件は、ギャラが安いか、ボランティア並み、内容には共鳴できなくても、割り切って、受ける案件は、支払いが良かったりする現職に、共通するものがあります。

 

 

 

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毎朝の瞑想で、「純粋に好きなことだけで、食べていける‼️」という、高揚した気持ちを味わうようにしているので、これまでの、既知の情報・体験に基づかない、未知の新しい形で、好きなことだけで生きていく生活が、まもなく始まるはず?!

 

 

 

20平米もない、窓もなく、空調もなくて、蒸し風呂のようだった会議室で、ケミカル臭を散々吸入し、舌の炎症が悪化するのを感じながら、執り行われた会議を終え、明日もまた同じ環境か…と、ドナドナな気分になりながら、思いに耽ったことを綴ってみました。

 

 

 

 

 

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